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「不登校」その事実とは?学校に行けないのではなく、学校を休む選択をしているという事です。

こんにちは花

連休も終わり、知らず知らずの内に疲れが溜まっているかもしれません。

少しだけでも、お休みくださいねコーヒー

 

事実は、学校に行けないのではなく、学校を休む選択をしているという事です


今日は、不登校に関して、昼夜逆転する事や、勉強が遅れる事など目に見える問題だけではなく、目には見えない心の問題を考えてみようと思います。

私は高校2年生の時に不登校になりましたが、当時を振り返ると、自分で自分に「不登校(学校に行けない子)」というレッテルを貼っていました。

 



あたかも、自分が不登校そのものであり、学校に行けないダメな人なんだと、自分の存在を否定していました。

しかし、心を整えるようになってから、少しづつ少しづつ、自分が学校に行っていなかった事は、心を守る為には必要な事だったんだと気づいていくようになりました。

そして、それまで、自分は学校に行けなかったと思いこんでいましたが、事実のみ(学校を休む選択をした)をみることで、自分で選んで、自分で決めたんだと、自分自身を肯定する感じが大きくなっていきました。

学校に行けないというのは、自分がつけた意味であって、事実(出来事)は、学校を休む選択をしたという事です。

 



全身にベタベタ貼っていた「不登校」というレッテルが剥がれ、学校を休んでいた自分の過去が認められたようで、心がほっとしたんです。

それまで感じていたダメ感よりも、安心感や優しさが上回るような心の状態でした。

心を整えることの大切さとと共に、起こった出来事に対して、どのような捉え方をするのかで、人の心は守られる事を改めて認識しました。
 

世界でたった一人の大切な存在です


不登校児という名前のお子さんも、不登校のお母さんという名前のお母さんもおりません。

そこに在るのは、世界でたった一人の大切な存在である、お子さんとお母さんです。