散歩をしていると、ハナミズキがあちらこちらに咲いていました
今日は、自分が不登校だった時のことを振り返りながら、客観的に不登校を見てみようと思います。
今から書く例はあくまでも、私の場合になります。
悩まれているのは、お母さんかもしれません。
私は、学校は嫌いではなかったのですが、なぜか学校に行けない、行きたいけれど行けない・・・そのような状態でした。
18歳だった当時の私にとって、自分の問題(不登校)解決の為に両親が一緒に動いてくれる事が、両親の関係が良くなる事のように思いこんでいたのかもしれません。
保健室登校をしていたある日、学校でケガをし、そのまま病院に行く事になりました。
学校まで両親が迎えに来てくれたのですが、本当はケガをしているので、痛みや憂鬱な感じがするはずなのに、なぜかその時、とても嬉しかったんです。
二人そろって来てくれた事が嬉しくて、家族がまとまったような、一致団結したかのような感じがしました。
今振り返れば、自分が問題を起こす事で、問題に目が向き、両親のケンカが一瞬落ち着くような、そんな役割があったのかもしれません。
あくまでも無意識なのですが、学校に行かない事、問題行動をする事で家族が壊れるのを防げる(両親が団結し、仲が良くなる)と思いこんでいたのかもしれません。
このように、自分の体験から不登校という状態は、家族を繋ぐひとつの役割を果たしていたように思います。
もちろん、その時は苦しいし、生きづらいし、なんで学校に行きたいのに、いけないんだーと思っていました。
でも、悩んではいなかったんです・・・
もしかすると、お子さんは悩んでいないかもしれません。
悩まれているのは、お母さんなのかもしれません。